こんにちは。松阪市の海住さつきです。
政治経験も、行政経験もないのに、なぜ、政治家になろうと思ったのか?とよく聞かれます。
そこで、私が、政治にかけてみようと思った理由について、お話しするシリーズ4回目です。
(バックナンバーはこちらです。
→政治にかけてみようと思った理由 1 原点は、「今の教育はおかしい」という生徒のひと言
→政治にかけてみようと思った理由 2 消防団・自治会をもっと元気にしたい
→政治にかけてみようと思った理由 3 市役所のIT化をめざして)
塾を閉鎖
政治にかけてみようという気持ちにはなったものの、すぐに出馬!とはなりません。
塾をやっていましたので、これを閉鎖しなければならない。
ですが、いったん、お引き受けした受験生は、合格まで見届けたいと思いました。
そこで、何年もかけて、少しずつ、生徒募集をやめ、新しい生徒をお引き受けしないようにして、本当に、少しずつ、少しずつ、塾の規模を縮小。
教室を2回、移転して、移転するたびに教室面積を小さくし、同時に断捨離も行い、本当に、少しずつ、少しずつ、私以外の誰にもわからない超ゆっくりスピードで、教室閉鎖へとすすめていきました。
昨年4月16日、出馬表明。
出馬するにあたり、教室を閉鎖しなければならないこと以外に、もう一つ、障害がありました。
3人いる親が、順番に病気になったのです。
病院通いをしている時は、まったくプライベートの時間のない忙しさでしたが、父が亡くなり、二人の母親がそれぞれ安定してくれたことで、ぽっかり時間が空きました。
もう、奇跡としかいうことのできない、絶妙のタイミング。
神様が、今、やれ!と言っているとしか思えません。
誰にも相談せず、突然、出馬表明しましたので、行き当たりばったりの思い付きと思われたかもしれません。
でも、実際は、人生でこんなに用意周到に進めたことはいまだかつてないほどの長期計画だった。
何年もかけて徐々に仕事を減らしたことで、収入もなくなり、最後の数年間は、赤字経営。
それでもいいのか?と自問自答を繰り返す毎日。
背中を押してくれたのは、父でした。
父は、軽い検査入院のつもりで入院したのに、入院したその日に院内でケガをし、それがもとで治療も受けられなくなって、あっという間に亡くなってしまいました。
父の無念さを思うと、私も、いつまでもいのちがあると思ってのほほんとしていてはいけないと思う。
もし、政治の道にチャレンジすることなく、明日死んだとしたら、
きっと後悔するにちがいない。
だったら、やってやろうじゃないか!
(続く)