こんにちは。松阪市の海住さつきです。
現在、街頭活動では、子どもの交通事故ゼロを目指し、
安全な通学路を作ろうと呼びかけています。
松阪市は交通事故の多いまち。
私自身、免許取り立てのころ、初心者マークをつけて松阪市内を走っていたところ、
あおり運転をされ、
あまりに怖くて、それ以来、
松阪市内で車の運転ができなくなりました。
ですから、今、移動はすべて、バスか自転車です。
移動に時間はかかりますが、
車の運転でいろいろなことに気をつかうことを考えると、
多少の不便はよしとしようと思っています。
私が、特に交通安全に関して思いがあるのは、
今まで、交通事故ではたくさん悲しい思いをしてきたからです。
高校1年の時、
クラスメートが目の前で車にひかれて亡くなりました。
高校3年の時、
同級生の男子がバイクで道を暴走し、
一人が転倒、
後続の3人も巻き込まれ、
足を切断するなどの大けがを負いました。
塾の生徒のお母さんが、
お迎えに来るのがいつもより遅く、どうしたんだろうと思っていたら、
目の前の交差点で追突され、車ごと転倒、
ひっくりかえった車から這い出して、
血まみれになって塾に駆け込んできたこともありました。
血まみれになっていても、
意識があると、人間、とんでもない力が出るんですね。
子どもが心配で、本当は走る体力はなかったはずなのに、
子どもに家の鍵を渡しに来たのです。
高速道路を走っていたら、急に渋滞したので、何だろうと思っていたら、
前方で事故があり、
まだ、救急車などは到着していなかったので、通行止めにはなっておらず、
前の車についていって、知らずに事故現場を通ったら、
人の体が真っ二つにちぎれ、
腰から上の上半身が道の上にまるで人形のように立っていたのを見た日のことは、
今でも忘れません。
その日は、私自身もとても疲れていて、
運転していても、うとうとしていました。
それ以来、
高速道路は走れなくなりました。
そして、つい数日前、
とてもお世話になった大切な人を、交通事故で亡くしました。
朝、いつも通り、バイクで駅に向かう途中、出会いがしらに乗用車と衝突し、
亡くなったそうです。
とても見通しのよい交差点。
寒い朝だったので、
スリップしたのかもしれません。
手がかじかんだのかもしれません。
仕事が大変だった時期なので、
疲れがたまっていたのかもしれない。
まだ、小さなお子さんがいらっしゃるので、
どれほど無念だったかと思うと、
告別式の間、涙が止まりませんでした。
交通事故は、一瞬にして人の命を奪います。
そして、亡くなった方には、
必ず家族があり、生活があり、夢があります。
それらを一瞬にして打ち砕いてしまうのが交通事故。
日本は長生きの国になったので、
50代くらいまでの年齢層の方の死亡原因は、
交通事故と自殺がツートップ。
つまり、
交通事故に遭わず、自殺をしなければ、
長生きできるということです。
毎朝、街頭活動をしていると、
さまざまな人に出会います。
私が辻立ちしているまさにその場所で、
お花を手向けていらっしゃる方もありました。
詳しいことはおっしゃいませんでしたが、
きっと事故があったのだと思います。
そこも、とても見通しのいい交差点でした。
事故に、見通しのいい、悪いはあまり関係ないのかもしれません。
どんなところでも、
車が通る限り、
事故は起きるのです。
それは、
燃えるものがありさえすれば、
どこでも火災が起こるのと同じなのかもしれません。
このように、
私自身、振り返ってみると、
身近な人を亡くした原因は、
交通事故がダントツに多いのです。
みなさんはいかがでしょうか。
子どもの通学路で、
特に危ないと思われるところの横断歩道の白線が消えているので、
市役所と警察、県の三か所にお願いに行きました。
どこも、
「予算がない」
「道路行政は管轄が複雑で、ことは簡単には運ばない」
「実際、事故が起こったなら対処する」
というようなお答えでした。
人が死ぬと信号機がつく、という都市伝説があります。
誰かが犠牲にならないと、道路はよくならないという意味で、
まさかそんなことはないだろうと思っていましたが、
相変わらずの縦割り行政で、なかなかことが運ばない現実を見ると、
そう言いたくなる人々の気持ちが痛いほどわかります。
誰が悪いというわけではない。
関係者全員、交通安全は大事だと思ってはいる。
だけど、
「予算がない」
「うちの管轄ではない」
などの、いかんともしがたい理由で、ことが進まないのだとしたら、
何かがおかしい。
たしかに、ハード面を直すにはお金がいるから、
まずは、予算を取ってこいということはわかります。
でも、ソフト面はどうでしょうか?
みんなで真剣に話し合って、
まずは子どもの安全を確保するために、
昨日より今日、今日より明日、すこしずつでもいい方向に変えていけたら、
危険な箇所が少しずつ減っていくはずです。
「誰かが犠牲にならないと変わらない」
そう言っている人は、
その「誰か」がもしも、自分の子どもだったらどうするんだろう?
交通安全は、
日々の「ヒヤリハット」を、わがこととして考えることから始まるのだと思います。
これまで、
たくさんの人が、
交通事故によって不幸になるのを見てきました。
車という便利なもののおかげでたくさんの幸せがもたらされたけれど、
同じくらい、不幸になっている人もいるのであれば、
そこは、断固として直さなければならない。
予算がない、縦割り行政で手が出せない、
などなどの障壁を崩すために、
政治力は発揮するべきだと思います。
子どもの交通事故ゼロをめざし、
安全な通学路を作り、
大人の交通事故も限りなくゼロに!
松阪市 海住さつき