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地方政治に対する政治不信 1 「だって政治には何もできないじゃないか」

こんにちは。松阪市の海住さつきです。

一年間、街頭活動を始め、自分なりにさまざまな活動をしていく中で、肌で感じたことのひとつに、

 

「人々の政治不信は相当根が深い」

 

ということがあります。

まったく、政治色のない集まりで、ごくごく自然な世間話から始まった会話が政治談議に発展するのは、とてもよくあること。

自然な流れで相当きな臭い方面に話が発展しても、最後は笑って手を結ぶことができるのがいいところで、友達になりたければ、「政治・宗教の話はするな」という教えはさすが的を得ているなと思うのですが、

何かのはずみで、

 

「この人は、選挙のお願いに来たのだな」

 

と警戒されてしまうと、最初からかなり険悪なムードに包まれます。

相手の方の「警戒モードスイッチ」がどこにあるかはわからないので、

ほとんど時の運なのですが、

こうなるとなかなか軌道修正は至難の業。

まったく私とは関係のない、日本のどこか遠いところに存在する政治家に対する不満をぶちまけられ、なぜか私が謝ることになったり、

過去の選挙でこんなに手伝ったのに報いられなかったではないか、という恨みをずっとお話され、だから、もう金輪際、政治家に期待はしないのだ、と断言されたり、

ちまたでは、なぜ、選挙の投票率が下がり続けているのか?という議論がされていますが、

私は、一年間かけて、その理由をお聞きしてきた気がします。

 

特に、地方政治における政治不信は、具体的な事例に基づいているので、根が深いというか、修復がなかなか難しいです。

例えば、住民が一致団結して、環境破壊に結び付く大型開発事業に反対してきた。ものすごいエネルギーを使って、勉強も積み、リスクもとって陳情してきた。

でも、結局、書類が整っていれば、開発許可がおりてしまう。

政治は一体、自分たちの声を聞いて何をしてきたのか?

そういう事例があると、次、また同じような開発事業計画があっても、どうせムダになるだろうと、新たな住民運動にはなりにくい。

 

あるいは、もっと身近な例でいうと、福祉関係で、自分から役所に出向いて申請すると、さまざまなサービスが受けられたり、お金が補助してもらえたりするということをケアマネさんにきいて、じゃあ、行ってみようということになった時、

窓口でものすごくイヤな思いをすると、もう行きたくなくなってしまう。

どんなことがあったのですか、とお尋ねすると、

職員さんの何気ない一言に傷ついた、とか、

縦割り行政の壁にぶつかって、結局、どこが担当なのかわからなかった、とか、

よくわからない複雑な計算式で、所得制限にひっかかって、結局、補助は受けられないことがわかった、とか、

もう、原因はあげればきりがないのですが、

市の担当の人は、明らかに、オーバーワークになっており、毎日、毎日、たくさんの申請者の列をさばいていかなければならないわけですから、ついつい対応が機械的になることはあるだろうし、

担当の人が悪いわけではなくて、制度自体がとても複雑怪奇に設計されており、申請に来た人全員が補助の対象になるわけではないことは当然なのですが、

一方の申請に来た市民の人の方からすると、

窓口に来いと言われたから、わざわざ遠路はるばる来たのに、ものすごく待たされたあげく、なんだかいちゃもんつけられて断られたら、文句のひとつも言ってやろうという気になるのは当然。

 

そんなちっちゃなことで、と思うかもしれないけれども、

そういうことの積み重ねで、

「行政は冷たい」

「政治は何も市民のことを考えてくれない」

「政治に何を期待したって無理」

「政治家は我が家の玄関から中に入るな」

・・・

かくして、政治には何も期待しない、したがって、選挙になんか行くもんか!という政治不信ができあがるわけです。

 

政治家ひとりひとりを見ると、ほんとにみんなまじめにがんばっているのに、

活動すればするほど、政治不信を呼んでいるという逆効果をうんでいる。

 

これじゃあ、若者世代が政治に興味・関心を持たないわけだ。

 

何か、抜本的に変えないと、政治が楽しくならない。

 

「政治を楽しく!」

いつしか、これが、私の活動のミッションになりました。

 

まだ、答えはみつかっていませんが。

 

(続く)