プロフィール

■ 海住さつき - Satsuki Kaiju -

1965年6月生 三重県伊賀市出身。
1988年3月 東京女子大学卒業。
東京大学教育学部研究生、ベネッセコーポレーションを経て、1995年2月アート英語学苑を設立。
夫は松阪市議会議員の海住恒幸。

海住さつき・プロフィール

[ 好きなもの ]

言 葉:直球勝負
人 物:野茂英雄
場 所:山の上
食べ物:丼物(ご飯の上におかずを一品のせただけのシンプルな丼が好み。自宅で作る昼食はほとんど〇〇丼)
飲み物:緑茶。毎朝、早起きしてでも緑茶を飲む時間は絶対取る。

■ エピソード - Episode -

■ 誕生~幼稚園時代

満1歳の時、一周4キロの公園を歩いた時、「抱っこしてあげようか?」との両親の誘い(たぶん、歩くのが遅かったから)を振り払い、全行程を自力で歩きとおした。その頃から、歩くのは割と得意。
人生で一番早い記憶は、二歳半の時、産まれたばかりの弟に会いに病院に行き、ガラス越しに対面した時のこと。一人っ子生活の終わりを告げる衝撃的な事件だったのだろう。

歌が好きで、テレビの歌番組に合わせて、おもちゃのマイクを手に踊りながら歌っていたとのこと。

幼稚園で鉄棒から落下し、負傷。それ以来、高いところと回る乗り物が大の苦手。

エピソード・誕生~幼稚園時代

エピソード・誕生~幼稚園時代

■ 小学生時代

小1の時、毎日、学校で泣いていた。理由は、男子に髪の毛をひっぱられたとか、背中にゴキブリいれられたとか、「痛い」「こわい」ことが理由。小2に進級した時、これからは何があっても絶対に泣かないと決め、実際、泣かなくなったのを覚えている。人生で初めて、何かを固く決意する経験だった。

小3までは、毎日、学校の図書館と市立図書館で本を借りていた。本の虫。転校した時、近くに図書館がなく、学校の図書室も本が少なかったので、心底がっかりした。

小5の時、校内のマラソン大会でビリになり、最後、息が切れそうであまりにつらかったので、翌日から、毎朝、ジョギングを始めた。翌年のマラソン大会で、陸上が得意な男子を抜いていきなりトップになり、周りも驚いたが本人が一番驚いた。鍛えれば体は強くなるのだと学んだ。

エピソード・小学生時代

エピソード・小学生時代

■ 中学生時代

毎日、カバンは重いし、宿題は多いし、親とはケンカばかりでいい思い出がない。

中学入学時、身長がクラスで高いほうから3番目だったのに、卒業時は、低いほうから3番目だった。ほとんど身長が伸びなかったのは、牛乳を飲まなかったからか?

■ 高校生時代

親元を離れ、寮生活を始めた。とても厳しい寮で、朝、5時半起きだし、下級生はたくさん当番が回ってくるし、上級生の言うことは絶対だし、寮に泥棒は入るし、4人部屋だし、とにかく、こんなに大変な経験は初めて。当時の寮の友人は全員、社会人になっていろいろ大変なことはあるけれど、あの寮生活のことを思えば何でも耐えられると言っている。

2年生の時、寮を出て自炊生活を始めた。いろいろな無理がたたり、学校で貧血を起こして倒れた時、クラスメートが「ちゃんとご飯食べなさい」と言ってカンパして炊飯器を買ってプレゼントしてくれたので、うれしくて、翌日、早起きして、クラス全員分のちらし寿司を作って学校へ持って行った。自転車で片道20分の道のりを何往復もしてちらし寿司を学校まで運んだ時以来、たいていのものは自転車で運べるというのが持論。

進学校ではなかったので、東京の大学に行きたいと言ったら、職員室で先生に「女なんだから無理して大学なんか行かんでもいいだろう」と本気で諭された。

■ 大学生時代

女子大生だったので、思いっきり青春を謳歌した。18歳の女子大生がいかにちやほやされるか身をもって体験。

かたっぱしからバイトした。一番記憶に残っているのは、長野県川上村のレタス畑で農家に住み込みのバイトをしていた時、日航機が墜落したこと。畑の向こうがオレンジ色に染まっていたので何だろうと思っていた。ニュースで飛行機が燃えていたのだと後から知った。

漠然と就職するのだと思っていたが、もう少し勉強してみようかなと思って大学院の試験を受けたら落ちた。合格発表の日、なぜ落ちたかを聞こうと思って教授の研究室に行ったら、「もし勉強したければ、研究生にしてあげますよ」と言われ、その場で研究生として入学が決まった。突撃訪問はしてみるものだと学んだ。

研究生をしながら大学院入試の勉強をするつもりでいたが、ものすごく賢い先輩たちがたくさんオーバードクターで苦学されているのを見て、自分にはその根性はないと思って「研究生をやめて社会で実践する人になります」と教授に言いに行ったら、本気で「あなたにはそのほうが向いている」と祝福された。

英語をものにしようと思って、留学する予定にしていたら、直前に足を骨折。松葉づえをついて渡英した。

ロンドンの空港についたら、昭和天皇崩御のニュースが流れていた。その夜から高熱が出て、薬はないし、食べ物もないし、3日間、ほとんど飲まず食わずで寝ていて、声も出ないので誰にも助けてもらえず、もうだめかと思った。

三週間の予定で行ったが、ホームステイ先の家族が赤ちゃんが生まれたばかりでとても忙しそうだったので、お手伝いを申し出たら、家賃がタダになり、結局、お掃除とベビーシッターをして、半年間、イギリスに滞在することができた。お手伝いができれば世界中どこでも食べていけると学んだ。

エピソード・大学生時代

エピソード・大学生時代

■ ベネッセ時代

進研ゼミのベネッセでは、赤ペン先生の育成担当。一年中、全国の支社を回る出張部署で、移動が17時以降だったので、着いたらレストランも閉まっていて、たいてい、夕食はコンビニのパンがお弁当だったため、今でも、菓子パンと幕の内弁当はあまり好きではない。

まじめな会社で、全員がモーレツ社員だった。体がついていかないので、昼休みに病院に行って点滴受けて、午後の業務に復帰ということを一か月続けていたら、さすがに心臓がバクバクして、このままでは死ぬかもと本気で怖くなった。

実は、月~金は会社員、土日は自宅で塾をやっていた。会社は岡山、自宅は津だというだけでも移動が大変だったのに、出張部署だったので、金曜の夜、仙台とか、福岡とかはざら。おかげで、飛行機、新幹線を駆使して、何とか帰宅する術を学んだ。

阪神淡路大震災が起こり、岡山⇔津の通勤が不能になった。どっちを取る?と自問自答して、迷わず、塾をとった。会社は楽しかったが、教える仕事が天職だったと思う。

■ 消防団入団

東日本大震災が起こった時、何かしたいと思ったが、仕事があるのでボランティアはできない。偶然、女性消防団員募集のポスターを見て、これだ!と思い、即、入団した。

体力がないので、最初は、活動服を着ているだけで疲れた。訓練で骨折したり、熱中症になったり、さんざん迷惑をかけた。

女性で操法をやろうということになり、指揮者になった。号令の声が小さいと怒られ、毎日、発声練習をした。操法当日、自分ではわからなかったが、会う人ごとに「緊張してますね」と言われた。競技中に転ばないかという心配で頭がいっぱいだった。

エピソード・消防団入団

エピソード・消防団入団

■ アート英語学苑

「英語学苑」という名前なので、英語がメインなのだが、入試科目は、数学以外はすべて教えた。特に、国語は苦手な生徒が多く、英語ほど簡単に成績が上がらないので、いつも苦労した。小論文、面接対策もかなりみっちりやるので、推薦入試の始まる8月あたりからずっと入試対策をしている。

毎年、医学部志望の生徒がいるので、医学部入試対策はかなり力を入れてきた。圧迫面接の大学も多いので、まるで、就職活動さながらの準備をしている。

英語のスピーチコンテストに毎年生徒が出場し、さまざまな賞をいただいている。おもしろおかしくスピーチするのがモットーで、コスプレをしたり、ステージ上で歩く演技をつけたり、さまざまな試みをしている。

エピソード・アート英語学苑

エピソード・アート英語学苑

■ 現在までの主な活動

有限会社アート英語学苑 代表取締役
英語、国語、小論文、面接、スピーチ、プレゼン対策など、受験に必要な対策をすべて個別で行っています。特に、医学部の推薦入試対策には定評があります。

松阪市消防団松阪方面団さくら分団 分団長
女性消防団の分団長として、地域や学校の防災訓練やさまざまなイベントを通じて、啓発活動を行っています。

三重県国際交流財団MIEF通訳翻訳パートナー
伊勢志摩サミット以降、依頼の増えている「おもてなし通訳」のプロとして、三重県に視察や観光、交流目的でお越しの海外の方に、三重県のよさをお伝えしたり、県内在住の外国籍の方が抱える言葉の壁の問題解決に奔走しています。

応急手当指導員
心肺蘇生の講習を、さまざまな防災訓練の場をお借りして行っています。

三重県総合文化センター取材ボランティア
総文で行われる様々なイベントを取材し、レポートを総文のブログで発表し、広報活動を行っています。

三重県立図書館協議会委員
公募委員として、利用者の立場から、県立図書館の運営に関して様々な意見を述べ、図書館をより身近なものにする努力をしています。

松阪市文化センター運営委員
公募委員として、文化センターで行われるさまざまなイベントに参加し、利用者目線の意見を述べ、さらに親しまれる文化センターにしようと努めています。

男女共同参画松阪フォーラム実行委員長
年に一回開催される松阪フォーラムの企画・運営に携わり、男女共同参画に親しみをもっていただけるようさまざまな工夫を行っています。

松阪市手話施策推進会議委員
松阪市手と手でハートをつなぐ手話条例に基づき、市民みんなが手話の理解に努め、手話を使うことができる環境を整えるため、さまざまな活動を行っています。

ICT教育
子どもたちに主体的・対話的で深い学びをすすめる活動を行なっています。
【 保有資格 】
・情報処理技術者
・ICT支援員
・Apple社認定 Apple Teacher
・MOSエキスパート(Microsoft Office Specialist)
・MOSスペシャリスト(Microsoft Office Specialist)

現在の活動・有限会社アート英語学苑代表取締役

現在の活動・松阪市消防団松阪方面団さくら分団分団長

現在の活動・三重県国際交流財団MIEF通訳翻訳パートナー

現在の活動・男女共同参画松阪フォーラム実行委員長